旅と歴史の記録帖

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広島城天守復元はどうなる?シンポジウムで見えた論点

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2/15 広島城シンポジウムに参加して ― 天守復元と未来を考える一日

2026年2月15日、広島市袋町の”ひと・まちプラザ”で開催された「広島城シンポジウム」に参加してきました。3月22日で広島城が閉鎖され、復元等に関する検討・調査が進められているこの時期ということもあり、会場には歴史ファンや市民の方々が200名以上集まり、改めて広島城への関心の高さを実感しました。

この記事では、当日の講演内容や印象に残った話を通して、広島城の歴史や天守の特徴、そしてこれからの復元の考え方について整理しています。シンポジウムに参加できなかった方でも、広島城がどのような存在なのか、今どんな議論が行われているのかを知るきっかけになればと思います。

今回は、異なったテーマで3人の専門家の先生が、分かりやすく解説されました。広島城について、また広島城の復元について、色々考え方があることに興味がひかれました。

シンポジウムの看板

広島城の概略

広島城は1589年頃から築城し、太田川河口のデルタ地帯に築かれた平城です。広い堀と石垣に囲まれた姿から「鯉城(りじょう)」とも呼ばれ、市民に親しまれてきました。戦国武将・毛利輝元が築いた名城です。中国地方を治めた毛利氏の本拠地として築城され、その後は福島氏、浅野氏へと受け継がれました。現在の天守は戦後に再建されたものですが、原爆の被害を乗り越え、広島復興の象徴のひとつとなっています。

明治時代には軍の施設が置かれ、1931年に国宝に指定され、1945年の原爆投下により天守は倒壊。現在の天守は1958年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。


各講演から見えた広島城の歴史

神祇信仰から広島藩主と庶民のつながり

広島城を語る時、毛利元就が築城するが、関ヶ原の合戦で敗れて長州に(約11年間)、そのあと福島正則が入城するも無断修築により改易(約19年間)その後、浅野長晟が入城し、幕末まで浅野家が12代にわたり治めてきましたが、ほとんど、浅野家のことに触れたり、誰が好きかなど話題にもならない。約250年間統治してたのに、ほとんど知られていない。今回は、浅野家の中で、8代目藩主の斉賢が庶民に敬愛されてきた歴史について解説された。もっと250年の統治にも目を向ける必要がある。また、広島城について考えてみる必要がある。

広島城天守の造形と構想

城の天守の目的はなにか。城ができるまで、高層建築は、五重塔の様な人が入れない、”聖”のものであった。金閣寺ができ、人が入り、庭園を眺めることができるようになり”俗”となった。城は、監視の役目、蔵として、支配者の権力の象徴。

広島城の築城年代から、秀吉の聚楽第を模して造られたと考えられ、古い城であるが、新しい形状である。(5重5層であったり、破風などの飾りが薄い等)広島の町は、まず城が造られ、町が造成された。そのため、町割りは、南北に並行でなく、少し東方向に傾いている。

広島城は、左右対称ではないこと等、また、鬼瓦の家紋について解説された。鬼瓦は、通常、家紋を入れることが多いが、広島城は、毛利の家紋は、1か所だけで、あとは、桐(豊臣)、と菊である。

広島城を建築学からの考察

広島城は、原爆でどのように倒壊したか、証言、史料、構造、シュミレーションから検討。爆風で吹き飛び火災が発生した、イメージであるが、実際には、爆風を受け、北東方面に傾きながらも上層部は維持されつつその場に崩れ落ちるように崩壊。

建築当時から北東方面に傾斜しやすい構造で、文献資料には、何度も修理、修繕した(補強の柱)歴史がみられる。しかし、何度もの大きな地震には耐えている。元々、他の城のように柱、梁、垂木のすべてにおいて、不具合があり、補強で維持していた。

このような、広島城について、明治時代、軍から広島県へ管理が移行される検討会で、県の担当者が困っていた事、また、昭和11年の”日本城郭考”では、辛辣な表現で述べられている。

広島城(開城当時の)島充先生作

天守復元をめぐるさまざまな視点

このように、3方向から、広島城について、おもしろ、おかしく講演された。講演を聞き、現在、”広島城を木造で復元”等の検討がされていますが、①どの時代のどの時点の復元②元々欠陥があったものを復元するのか③また、小天守を含め、どこまでするのか等、多くの疑問点、問題点があげられた。

これ以外にバリアフリーなど現代的な問題点も加わってくる。

近年では、各地で木造による天守復元が検討・実施されています。国宝天守をもつ松本城や、現存天守の松山城のように、歴史的価値を生かした保存が観光振興にもつながっています。

広島城も、史実に基づいた木造復元を目指すべきか、それとも現在の再建天守を活用しながら改修していくのか。専門家からは、耐震性・費用・文化財としての位置づけなど、さまざまな視点から意見が示されました。

印象的だったのは、「広島城は単なる観光資源ではなく、平和都市広島の歴史そのものを語る存在である」という言葉です。復元とは何か。単なる建物の再建ではなく、歴史と記憶をどう未来へ伝えるかが問われているように感じました。

こうした声を聞きながら、広島城は行政だけでなく、市民みんなで考えていく存在なのだと改めて実感しました。


まとめ

天守復元の議論はこれからも続いていくでしょう。しかし大切なのは、広島城をどう次世代へつなぐかという視点です。

歴史を知ることは、未来を考えること。広島城のこれからに、大きな期待を抱いた一日でした。