旅と歴史の記録帖

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瀬戸内海を見張った山城・桜尾城跡を歩く|厳島合戦を支えた歴史の舞台

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瀬戸内海を見張った山城・桜尾城跡を歩く

はじめに

広島県廿日市市に残る桜尾城跡は、瀬戸内海を望む小高い丘に築かれた中世の山城です。現在は住宅地に囲まれ、遺構は残っていませんが、かつてはこの地が海上交通の要衝であり、戦国期の緊張が張り詰めていたことを物語っています。今回は桜尾城跡を歩きながら、その歴史と見どころをたどりました。

桜尾城の立地と役割

桜尾城は、対岸に宮島を望む絶好の場所に築かれていました。中世において瀬戸内海は重要な物流路であり、海を押さえることはそのまま経済と軍事を押さえることにつながっていました。

この城が置かれた桜尾の地は、三方を海に囲まれ、海に突き出した丘陵で、天然の要害でした。標高31mの小高い山城でありながら、海城の性格も併せ持つ立地で、眼下の海を通る船を監視することが可能でした。現在は、回りを埋め立てられ、住宅地の小高い桂公園となっています。宮島まで直線で7~8km です。

桜尾城(現在の桂公園)に位置

宮島との位置関係


桜尾城と毛利氏の関係

戦国時代、大内・陶に反旗を翻したが毛利元就率いる毛利氏が、この城を攻め開城し、毛利の配下に入りました。安芸国を本拠とする毛利氏にとって、瀬戸内海の制海権は勢力拡大の生命線でした。桜尾城は、城主として、桂元澄がはいり、毛利氏の海上支配を支える重要拠点の一つとして機能しました。対岸の宮島には、宗教的権威を持つ厳島神社があり、この地域を掌握することは政治的にも大きな意味がありました。

厳島合戦との関わり

1555年、戦国史に名高い厳島の戦いが起こりました。毛利元就が陶晴賢を破ったこの戦いは、毛利氏躍進のきっかけとなりました。

この戦いの際、桜尾城は毛利軍の後方支援の拠点・連絡地点として重要な役割を果たしたと考えられています。宮島へ渡る前の兵の集結や、海上の動きを監視する場所として機能しました。桜尾の地からは宮島がよく見え、戦の緊迫した様子がここからも見えていたことでしょう。現在は、宮島を眺めることは、できますが、海までは500m程度距離があります。

現在の桜尾城跡を歩く

現在の桜尾城跡は、住宅地の中にひっそりと残っています。登り口には案内板があり、公園上まで車で行くことができます。公園には、10台程度止められる駐車場もあります。石垣や建物などの遺構はありませんが、地形そのものが城の機能を物語っています。

桂公園登り口の碑

頂部からは、木々の間から瀬戸内海や宮島が見え、かつての城主と同じ視点で海を見渡すことができました。

桂公園の頂部

桜尾という地名に残る歴史

「桜尾」という地名もまた、この地の古さを感じさせます。古くから人が暮らし、海と共に生きてきた土地でした。城が築かれたのも、この地が古くから交通の要所であった証でした。現在もこの地域は、廿日市市桜尾の地名が残っています。また、近くの醸造所では、桜尾のブランドでウイスキーが製造されています。

頂部に建つ碑と頂部からの公園入口

最後に

桜尾城跡は、現在、桂公園として整備され、遺構はありませんでした。しかし、瀬戸内海の要衝を押さえ、毛利元就の時代を支えた重要な拠点でした。地形を生かした城の姿と、対岸の宮島を望む景色は、戦国の緊張感を今に伝えていました。

遺構はなくとも、歴史の舞台となった「場所」を歩くことの価値を、桜尾城跡は教えてくれました。歴史好きの方にこそ訪れていただきたい、城でした。

ぜひ、宮島の戦いの舞台となった、宮尾城跡(要害山)と塔の岡と併せて訪問してください。